私の父・高城米雄は、自由奔放な性格(1)

私の父・高城米雄は、大地主の三男坊。父はすでに亡く、優しい長男が父親がわり。友達は4人何をするのも一緒。5人全員頭はよい。試験の時、先生は、いつも居眠りしているか、本を読みふけって試験の状況を全く把握していない。クラス全員がカンニング。ほとんどの人が堂々と本を開き試験に挑んでいた。そんなある日、先生が築き、みんなにカンニングをした者は、立つようにと。立ったのは、父を含む5人のみ。クドクドと説教。反省する気持ち全くなく上を向いている者、足先で遊んでいる者。窓の外を見ている者・・・。先生 怒って 「先生の言うことを聞けないのなら もう学校に来なくていい」と。 5人「はい わかりました」 と 下校。

 

 

 それから10日間 富山の 街に行、遊びに遊んだ。最後の日、帰宅した時、兄が玄関先で待っていて「どこ いっとった?」「学校」叱られることなく学校から連絡あったと知らされる。次の日から学校に。  5人は担当の先生に連れられ校長室に。説教を受ける。5人、教室に向かう途中、誰からともなく「おかしい、 みんながカンニングしていたのに」「今まで噓をついた者は、罰せられる。正直に言った者は褒められると教えられてきた。おかしい」と言って校長室に乗り込む。校長・担当の先生と共に教室に。生徒全員が認めた。それから5人の殿下。

 

 

 下級生が友達をいじめていると聞きつけると呼び出し折檻。先生苦笑しながらあまりひどいことするなよと。1泊旅行の時、友達のお父さんが、亡くなり参加できない。仲間が1人でも欠ければ面白くないから不参加。先生の説得にも聞き入れず。旅行1日目、体育館で跳び箱を飛んではドアにぶつかる。そのうちドアを壊してしまう。2日目、,校長室の窓の1っか所に鍵がかかっていないと知り、侵入。そしてキャッチボールを始め、額縁落とす。旅行から帰ってきた先生は、「だから、お前たちを残していくのが心配だった」と。このように自由奔放に生きてきた父達でした。

 

 

兄から中学に行くか?」と聞かれ「中学に言ってお金を使うより、働いて その分お金をためようかな」。兄は納得。その時進学していれば、給料は多い。出世もするということを教えてくれれば自分の人生は、違っていたと。

卒業後、自分で木材の仕事を始める。鉄道で働く知人がいて運んでもらいそこそこに利益があった。

 

 

それから戦争が始まり、父も出世。マラリア病にかかる。

終戦後、父の仕事は、ペンキ塗り給料は少ない。  名古屋駅前で仏壇店をしていた叔母 藤井ハルが、夫と息子が戦死し、疎開。高城家で生活。父が叔母を見ると言った事から藤井家の養子となる。仏壇店の隣の旅館の娘と一緒にさせようとしたところ兄が水商売の娘は駄目だと。あまり大きくもない地主の次男坊でよく働き 米屋を営んでいる中川家の長女・キクイとの話を進めた