短大時代と寮生活(7)

短大入学、寮生活に

1年遅れながら高校推薦で淑徳短期大学社会福祉科に入学しました。1ヶ月の仕送りは、1万5千円だった。だいたい2万円~1万5千円で少ない方でした。

 

短大から約5分のところに寮がありました。寮は1部屋3人の定員で2年生1人と1年生2人の組み合わせ。先輩は、いつも部屋にいる事はなかった。隣の部屋の先輩に誘われ、いつも、隣室に行き、 楽しく過ごした。

義手も邪魔で仕方がない。外す。言いたい人には言わせておけばいいと 思った。

 

そんなある日のお昼、同室の先輩に誘われ、先輩の友達の部屋へ。先輩3人と1年生4人で豪勢な食事をした。その時、先輩の友達がもうお金が、少なくなった。今月2度目で仕送りしてもらうまで大人しくしていなきゃと。その後、1度誘われたがお断りした。

それから いつも隣室で過ごした。数回、家からヒラメ(ミビキ)のこぶ締めが、送られてきた。1度目、½にして先輩の友達と一緒に食べてと渡す。半分は、隣室でたべる。食べた事が無い、美味しいと好評だった。富山県の名産かな  ?  と。

 

10月 冬になってコタツ準備。先輩は、昨年のコタツを・友達は、東京は寒いからと重ね布団としてコタツ布団が送られていた。そして私は、コタツ用の敷物を購入した

 

ワンダーホーゲル部に入ったが・・・

私は2年生 同室の下級生が2人。その内の1人が、数人の友達の友達と仲良くして指導権を握っていた。そして2人は、殆ど部屋には、居なかった。

 

私も1年の時の数人の友達と楽しく過ごした。そんなある日、青森県出身の山口さんからワンゲル部を作るにあたり、人数が足りないからと誘われる。小学6年・中学3年の時、立山登山に挑んだが、体力がなく、早々にバテ、居残りとなるった事を話す。

名前だけでもと言われ入部。

今度は、せっかく入ったのだから、埼玉県の低い山に登ろうと言われ、キャラバン・リュック・登山服を購入した。中程 強 登ったが、バテ休憩、皆に山頂に登ってと言うが、一緒に来たのだから、一緒に登らなきゃ意味がないと。下山することになる。

夏休み岩手山に登るため東北へ ずっと雨がふりっぱなし。そして登山の途中、上のほうが集中豪雨で、引き留められる。

十和田湖でキャンプし、奥入瀬渓流ウオーキング 楽しく過ごした。

 

警察官の不祥事が、多い年、富山県警の偉い人が、5・6年前の件(市民病院のドクター・警察官が父を殺そうとしていた事)で、自宅に来られた。 翌日に報道関係者(テレビ・新聞社)の人達が来られた。 その詳細は、分かりません。 そして、それ以降も 何ら 変わる事は、無かった。

 

手編みができるようになる

この年の冬は 8月の中頃から、冬に着る服を探しまわった。西武デパートに素敵なセーターが、並んでいる。ちょっと高いが、下さいと。  売り物では無いので、毛糸を購入し自分で編んで下さいと。私の手を見せ、不器用なことも話す。  店員さんが 親指と小指があれば、作れます。 編み棒をもって 手首を動かして編みます。綺麗に編めるよう教えてあげるからと言われ 毛糸を買い 編み始めた。 何度かほどきましたが、難しいピコットセータが綺麗に出来上がった。満足。 洗替にと 棒針編みのセーターを編み。これも満足。 

 

11月前に、下級生にコタツの事で話しかけると、コタツとコタツの下敷きを用意したから 布団を用意するよう言われた。全く私を無視。そして私には、お昼代のお金しか残っていなかった。

下敷きにカバーをかけ、コタツ布団にして炬燵に掛けたところ、散々嫌味を言われ、たたみ、私の机の前に。  何としてもコタツの上掛けを購入しなければならない。

 

短大はアルバイト禁止。  近いところにあったお菓子製造業の店先にアルバイト募集の貼り紙を見て飛び込み、事情を話す。  「私の時間に合わせて洗い物・片付け作業だけでもいい」と。  更に昼の食事を聞かれ まかない食付きで 優遇された。 アルバイト料が入る前日に、炬燵に布団が掛けられていた。お金は、いらなくなった。そして私は、その炬燵に足を入れることはなかった。

 

 

私は、アイデア料理は、色々出来るけれど、一般的な料理は作れない。母の妹の末子叔母さんに料理の作り方を教わりたい。無料でいいから、アルバイトは、ないかと。

花柳流のお師匠さんを紹介されて行く。  所がお手伝いさんも、誰もいない。私が、毎日 掃除・洗濯・自分流の料理をすることになった。 

ストレスからアルバイト料でショウトケーキを毎日 3つ食べた。そして母からミビキ(ヒラメ)のこぶ締めが送られてきた。取り上げられ、私の口には一つも入らなかった。アルバイトの意味が無いので、理由をつけやめた。

 

途中の公衆電話の中に帰省する為のお金が入っていた財布を置き忘れ、気付いて戻った時はもう財布は無かった。仕方なく近くの交番にいった。 届いていなかった。

お金を借りて富山へ帰った。10㎏太っていた。そして成人式を迎えた 記念写真は、太った着物姿が残りました。写真館のお母さんが側に来て 私に今までにない 1番素敵な着物ですヨ。と

 

父に「精神薄弱者(知的 障害者)施設に就きたい」と話したら、この事を京免さんに相談。息子さんの友達が、セーナー苑に努めている。そして仕事の話を聞き(姉の時は、県立黒部学園の話があったが断っている)、進めた。  採用試験を受ける。18人受け18人採用された。

 

3学期 東京に戻った時に 富山の名産のますずしを持って 交番に行ってお礼を言って、返却した。