セーナー苑務めて(9) 保護者から信頼を得たこと

父は、弁当屋を反対。自分で、福祉の学校を選び、精神薄弱者(知的障害)施設を希望した事。一生懸命頑張っていたこと。数年で辞めた人は、次も続かない人が多いと。・・・・・ 頑張ることに。

母の妹のご主人が、事業を始めるので、保証人になってほしと。父は、断る(同級生の門前さんのお父さんが、保証人にたち、全財産を無くした)、そして、通帳いの全額を下ろし、なせる分を借入れ、私にも声掛け。守銭奴と言われてまで貯めた金だからと断る。父に貸す事に。合わせて援助する。数年後、倒産。弟の家を手放さなければならなかった。  母の兄と、父とで負担。

 

私は、つくし寮(最重度棟)に移動。  作業を終えて入浴時間(週2回)寮へ、ここでも手のかかる苑生は、置いてきぼり。自分のこぶしをいつも口に入れ、服をベッタリ濡らしていた。常に手を後ろに拘束されていた(クンちゃん)、 気に入らない人の腕の内側をつねる。 トイレの中に足を 突っ込み水遊びをする(ノッちゃん)    クンちゃんは、色黒・目はパッチリ・唇は厚く、常にフンフンと言って怒っている。お世辞にも可愛いとは言えない。 

 

 クンちゃんをまねて手を後ろにして、後ろをついて歩く。 暫くすると腕の付け根が痛くなる。紐をほどき、舐めないようにベッタリ つく。 舐めそうになると、駄目と言って手を下におろさせる。そんなある日、手を口元にもっていき駄目と言いかけた時、 頭をかき出す。 「こら、先生をからかって」クンちゃん、声を出して笑い出した。その笑顔が、すごく可愛い。 クンちゃんは、このようなやり取りをたのしんだ。

 

2人を連れて正面の芝生に連れて行き、クンちゃんと手をつなぎ、ノッちゃんは、自由に。 池の方に走った時は、捕まえ池から離れた所で また自由に。

 

ノッちゃんは、おしっこの間隔が長い。私は、洋式トイレは嫌い。いつも和式トイレを使用していた。 毎回、ノッちゃんを連れて洋式トイレで用を足すようになった。 尿が出たら指で刺し、シーシーと言う。

目がおしっこの方に。それからトイレに座らせ シーシーと すぐ用を足すようになった。嬉しくって、頭を撫でまわした。職員に報告しトイレで用を足すようになった。

更に当直時、最後にトイレに連れて行き、就寝。起床時、ちょっと早めに起こし用を足し着替え自由に。夜尿はしなかった。

 

面会日、ノッちゃんのお母さんから娘を可愛がってもらい、お礼を。私の顔を見ると とんで来たのに今では先生の側から離れない、それでも連れていくと 先生を振り返り・振り返り、引っ張られ 来ると。

 

夏休み、長男が「両親と妹のノッちゃんを見るつもりだ」と言って、結婚相手を連れてきて ノッちゃんと会うことに。パニックをおこし暴れる  彼女の父親から断ってきた。

 

それでも、娘さんは、結婚したいと。そしてお父さんは、そういう子がいると知って嫁に行くのだから ないがしろしてはいけい。可愛いがる という事が、条件だと。そして話が、進む。

お母さんは、その都度 逐一私に話された。 そして私は、「そんな素敵なお父さんに育てられた娘さん きっといいお嬢さんですヨ」

そして結婚  帰省・帰苑、お母さんの不満が。苑では、先生に。家では、義娘にベッタリで、寂しいと。

 

 

雨の日、寮でお絵かき、男子職員が腕を組み、その横で縛られているクンちゃんが フンフンと言って怒っている。少しかまったらと。『いつも、怒ってばかり、可愛げが無い』 。 「この子、声を出して、ケタケタ笑う」と。  いつものやり取りをすると、ケタケタと笑い出した。  男子職員は、「こんな可愛顔を見たことがない」。

笑顔が、週2回から毎日になった。クンちゃんの顔付きも変わっていった。

面会日、娘の変わりように気がついた母親は、男子職員から ことの仔細を聞き、 私にも お礼を言いに来られた。

 

4月、中井光代が、手に負えなくなったという理由から白樺寮からつくし寮に移動。

私は納得できなかった。白樺寮の苑生は、喋れなくても訴える事ができる。 つくし寮には、訴えることが出来ない苑生が、何人もいる。 ましてや私が、いる所に。

 

そして1年後 私は、ねむの木寮に移動。ここでもグループに行く事もない苑生・秋葉美恵子はいつも寮内を徘徊している。コーヒーが大好きで、要求。そして与える職員がいた。