幸子の高校時代・アルバイトによる身体障害者に(6)

0私は、高校生時代

高校受験に落ちて、藤園学園(富山私立女子高校)・商業科に入学。下校時、父を見舞って帰った。叔母が、赤ん坊を負ぶって付き添い。

帰宅して、母は、毎日、「血を吐いた。血を吐いた。」とウザイくらい。軽く病院に行ったら。それからも「・・・・・・・・・・・」

「だから 病院に行かれと言っとんにか」と。行ける状況でもないのに。 私は、ひどい娘だった。母は、以前も・その後も 歯医者・病院等に行った事が無い。

高齢者の健康診断に参加。どこも悪くない、健康そのものだと。昔、肺炎を起こした事がありますね。今は完治し、肺にその跡があると。母は、帰宅しそんな病気した事 ないよね。その時、毎日、血を吐いたと言っていた時の事だと思った。

 

 

父、完治し退院する時、まだしばらく酒を飲まないようにと医者から言われたが、退院祝いと言い 酒を飲む。 そして、次の日から家業に精を出す。振り売りしている農家の村川さんから盆栽の楽しみを教わった。店の前に棚を作り、盆栽 6つを並べ毎日 眺め、時には剪定をして満足していた。その中で、お気に入りの盆栽2つのうち、1つが無いと言い出す。暫くして隣の鶴山さん家の下駄箱の上にあるのを見つける。買って来たと言われたが、父は、家のだと。  玄関の戸が、少し空いていたので覗く。松の木も盆栽の鉢も一緒にである。私も、家の盆栽だと思った。

 

数日後、酒を持参で医者のところに行き、一緒に飲んでくる。

そして、毎日肩こりを訴える。肩もみをするが、追っつかない様子。この時、ビメークという肩こりの機械がテレビのコマーシャルで放映。

 

私の人生を左右する事故・身体障害者

製薬会社からアルバイトの依頼が 当園にあり、貼り紙される。父に了解を得る為にビメークを自分で買いたい。

 

アルバイト生は、3人。作業の内容は、ミキサーのスイッチは作業場の外にあり、スイッチを入れてから、材料を入れ攪拌していく。その時は従業員は側にいたが、材料が終了すると 隣の部屋へ移動。 ミキサーは、動いている。いつものことである。ミキサーの上の方にある材料を3人で順番に手で落としていった。数日後、私は、最後に落とした。その時、右手が巻き込まれる。 神経が切れているのか全く痛みがない。周りがパニックに。  私が、電源のスイッチを切って来るように。従業員を呼んできてと。従業員が来て外に出てスイッチを入れ、作業室に。外に出て 再び切る。 ミキサーを逆回し、私の目を隠し手を布で覆い桜橋病院に運ばれた。 車の中では布でくるまれた手を見ながら 元に戻ら無いだろうと思った。

 

手術を受けた5指のうち3指を切断。親指は第1関節・小指は第2関節は、かろうじてつながった。きちんと曲がらない・力が入らない。でも この2指がある事をで字が書けた。

製薬会社から私に見舞金が。 そして義手をつける。

 

母は、私を連れて児童相談所へ行き、頭が悪いことも話す。 知能検査。厚い本を開きいろいろ質問される。 職員から、決して頭は、悪くはない。ちょっと変わってる。障害者というハンディを背負うことになった事をしっかり理解しながら 心境は、障害者で、普通の高校生だと思っています。  母は、喜びこの事を姉に話す。

 

後日 母は、高校に行き、商業科から普通科に代われないか相談。教科が全然違うので移動は、無理です。と  来年、普通科1年生になると決めてくる。

 

私は、普通科1年生。義手の事をよく知っている同級生が、指がないと隣席の友達に教えていた。それから間もなくして彼女のお母さんが亡くなり、妹弟の面倒を見るという事情で退学する事になった。 「罰が当たったんだ」と思うとともに、嬉しくは、なかった。私の父は、入院し、母は、血を吐きながらも私を高校に。  なぜ彼女のお父さんは、娘が、が学業を続けられるよう考え無いのだろうかと思った。

もう1人、いつも「とっぺ(豆腐 )臭い」と言いながら、ニコニコして私の横にに来るクラスメートがいた。事情を話すと謝り「私、この臭い大好きなのいつも側に来ていい?」と言って、言いかたも、変わった。

 

姉は、薬剤師の私立大学の入試試験に合格。所が、入学金・授業料が高い。父の怪我は、交通事故扱いではない。豆腐の売上も少なかった。父は、姉に 今年は大学を諦めるよう話す。

母は、納得出来ず、幼友達の妙信さんを頼り東京へ(鶴見学園の偉い人に仕えている)入学の許可をもらってくる。この短大は幼稚園教諭・福祉の資格がもらえる。

姉は、5月の末から入学。入学金・授業料・姉の生活費は、私の見舞金から。 

 

 姉は、学校の様子を楽しそうに話した。その中で 私は、特に実習の話に興味をもった。

そして姉は、卒業して、父に 黒部学園(精神薄弱者施設)の仕事への話があった。姉もそんなふうになってはと思い 断った。(私がこの職業についた時、私に話した)

幼稚園に勤務。必要に駆られピアノを購入。

 

母は、姉の中振り袖を買ってくる。しばらくして、私にも、ピンクの花柄の振り袖を買ってきた。私は、姉の振り袖の方が好みだったので、着ないから返してきてと。(以前に父が私にレインコートを買って来た時、好みでないと 1度も手を通さなかった。近所の人にあげ、喜ばれた)

 

高校生3年生の時、富山駅の階段で下から上つてくる人に  私を指差し「あの子  手ない」と。皆の視線を浴びる。  そう 私は、障害者なのだ。 次の日、先生に相談。

姉の学校の話をして、私は、ピアノを弾けない事も。社会福祉学科を進められた。

 

帰宅して 私は、父に短大に行きたいと。父は、頭が悪い・勉強は嫌いなのにと。奥から母が出て来て「この子初めて 短大に行くといった。今までそんな気が無かった。でも今は行きたいと言っている。1人大学に行くなら3人大学に、1人大学に行かないのなら3人共に大学に行かない。姉弟で差をつけてはいけない。この子大学に行くと言った」と。この時、この人も私のお母さんだったのだと思った。

18才 の時 車の普通免許の資格をとる。

      虫歯ができ、歯科医院へ。乳歯なので 生えてくるかもと 抜かれるの     

      のみ。生えてこなかった。